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企業情報
林業十五代、創業昭和二十五年、林業、炭焼き事業から始まった三栄林産株式会社の
会社概要、沿革、メディア掲載、受賞について。
会社概要
- 商号
- 三栄林産株式会社
- 創業
- 1950年
- 所在地
- 〒519-1127 三重県亀山市加太中在家8032-1(名阪国道中在家インター降りてすぐ)
- TEL
- 0595-98-0678
- FAX
- 0595-98-0507
- info@sanei-rinsan.com
- 資本金
- 1,000万円
- 代表
- 代表取締役 坂 英哉
- 建設業許可
- 三重県知事許可(般-27)第12352号
- 建築士事務所登録
- 二級建築士事務所
三重県知事登録 第2-1948号 - 事業内容
- 建築用材(木材、建材)の販売・一般製材業・建築工事業・小売業
- 取引銀行
- 百五銀行関支店 三重銀行亀山支店
沿革
- 昭和22年
- 創業者である坂 安男が加太に戻る。
- 昭和25年
-
【山二木材店創業と創業者 坂安男】 坂 安男が三栄林産株式会社の前身である、山二木材店を創業。主に、林業(雑木伐採、植林)、炭焼き事業を行う。坂 安男は昭和20年代後半から12年間、加太村・関町の議会議員を務める。安男は名阪国道(開通昭和40年(1965年)の工事(昭和37~40年)では、地域の土地区画整理に尽力。
坂 安男
(坂義明会長の父) - 昭和35年
- 林業、製材業の景気が良く成り始め、仕事が増える。
- 昭和40年代 初頭
-
【製材事業開始(三栄木材店への社名変更)】 加太地域で知人の山路七蔵が経営する山路商店(製材所)を買収し、三栄木材店を創業。製材事業開始時のメンバーは、安男、昭吾(安男の弟)、牧森 久和氏の3名であった。
- 昭和46年 4月
-
【法人化(三栄林産株式会社の誕生)】 三栄林産株式会社設立と共に、現在の本社地に移転。設立時の従業員は8名。安男は、鈴鹿木材市場(原木市場)の社長を兼務。
- 昭和50年代
- 国産材の流通は産地ブランドが主流だった。加太材は高評価されており、市場でもこの周辺の他の材より一割高く売れていた。関東でも加太産の丸太がよく売れていた。加太や周辺(関町内)地域には、終戦後からこの時期まで、製材所は10ヶ所程あった。 安男は、鈴鹿森林組合長を7、8年務める。(58歳のときに脳梗塞で半身不随になったが、ほぼ回復してその後に60代で鈴鹿森林組合長になり、熱心に取り組む。)
- 昭和60年代
-
【義明(2代目)就任】 義明が社長就任後、平成初期(平成3年ごろ)までは木材価格も高値だったが、しばらくして景気後退が始まった。 「製品市場売り販売」から関係の深い取引先(工務店、大工)への販売を主とする「直接受注販売型」へシフト。 平成12年頃より、建築事業を目指す。
- 平成14年 8月
- 工場火災発生(屋内の木材乾燥機のモーターの過熱が原因と想定)事務所および製品倉庫が消失、製材工場、屋外木材乾燥機が残る。
- 平成17年
-
【火災からの復興~現在へ~】 丈哉(義明三男)が火災を機に三栄林産へ入社。 成哉(義明次男)は大阪で設計事務所に勤務していたが、この1年後くらいから三栄林産の仕事を手伝うようになった。 ノッティーハウスリビング(工務店・家具事業)開始 丈哉家具店勤務(店長)の経験も活かしたいとのことで事業開始。 英哉(義明長男)が三代目社長、義明が会長に。
- 平成19年
- 丈哉が株式会社ブルック創業。
- 平成30年
- かぶとの森テラス(キャンプ事業)開業。
- 令和2年~
- ライフスタイル創造カンパニーへ!
メディア掲載
- 2021年5月21日
- 中日新聞 3兄弟で老舗事業再編〜加太の木材で持続可能なまちを〜
- 2020年5月13日
- 中日新聞 亀山市役所に飛沫防止パネル寄贈
- 2020年4月12日
- 伊勢新聞(ヤフーニュース) 子供向け「木工キット」プレゼント、亀山の「三栄林産」
- 2020年4月12日
- 中日新聞 休校中 木工キットで椅子を
- 2009年
- 伊勢新聞 当世跡継ぎ事情
- 2008年12月9日
- 中日新聞 地域経済の現場から
- 2008年
- 2008年春号 NAGI
受賞
- 昭和63年
- 黄綬褒章
- 令和元年
- JAPAN WOOD DESIGN AWARD 2019
- 令和2年
- 「小さな親切」実行章